”魔女なんかだいきらい”



● ”魔女”たちの受難

魔女。私はそもそもこの呼び名が嫌いなのであります。

しかるに呪文ってどうやって使うの?空なんか飛べるの?
魔女になりたい!…そういう人の為に書いてるものでは(サイトでは)ないのであしからず。

何故その呼称が嫌いなのかといえば、この響きに込められた概念は「悪魔に隷従する女」へと没落させられた女達のイメージであるから。たとえば有名な話でい くと、ジャンヌ・ダルクは魔女として処刑されたわけですが誰がこのとき”魔女”を褒め言葉に使ったか?という問題。
”魔女”は隷属者である。魔術を使う者ではなく、魔術を使う悪魔に『使役され』る存在であり、そこに知識も明晰も霊感も信仰も何もあったものではない。出 来うる限りの悪を行うことを誓っていて、収穫を減らし天候を悪化させ、サバトの夜には裸で飛び回り山羊神と交わる。
本当にそうだったら火焙りにしてもいいような気もしないでもないけれど、これを本気で信じて魔女狩りを行っていた者たちがどれほどいるというのか。
以下、ちょっとまちがったジェンダー観気味で記述するので、あくまで性別に関しては記号として、象徴として聞いていただきたい。

かつて彼らが一つの教えで世界を満たそうとした時、
一つの教えで国々の支配を行おうとしたとき、
教会の神父や男達の説明のつかぬ存在を語る女があってはならなかった。
教会の神父や男達の説明のつかぬ業で病気や怪我を治す女などいてはならなかった。
教会の神父や男達よりも権威のある女などあってはならなかった。
伝え続けていたことばを”一つの教え”に統合されてしまった、当の賢者の思惑はきっと別だった事でしょうが。…当然ながら上記の”女”にはほぼ同理由で迫 害を受ける男性もいたわけですが。理詰め理詰めで立ち向かえない分女はそもそも法廷じゃ不利なのであります。さて権威とお金が大好きなのは男性です、魔女 をたくさん捕まえると報奨金の出世のチャンスがありました。これは稼ぐしかありません。(その後どうせ女に貢ぐでしょうけども。イヤな還元)

旧約聖書(出エジプト記22/17”なんぢら 魔女を生かしておいてはならぬ”)にはじまって『魔女の槌』にインプリントされた思想は根強く、ありえるはずもない侮辱が実像として植えつけられて数世 紀、――非実用的なでっかい甕で薬を作っている魔女なんか、映画を見すぎたおまじない大好き少女のなれの果てとしか思えません。カルドロンを使うこともあ るのは事実だけれど、台所の実用性にこだわる女性たちがそんな使いにくいもの持ちませんから。…どーしても必要な儀式以外は。


そもそもこの考え自体が差別的なので改めようとは思っています。
思ってるんですけどさあ。





● ”魔女”たちの軌跡

魔女宗と呼ばれる思想がある。ウィッチ・クラフトのことをそう呼び、これに属する人々をウィッカンと呼ぶ。術よりは思想であり、宗教である。変異する月の 女神に仕えるもっとも古い一派の流れを継ぐものとされますが、これまでさんざん悪い事ばっかり書いてた気がしますがこの世の成り立ちからするに男性という ものも当然ながら不可欠な要素なのであります。月の女神は女性的な(あたりまえですけど)女性の象徴で、しばしば悪魔の引き合いに出されるバフォメットと かレオナルドとかパンだとか言われてしまっている男性神が共に信仰されております。
これら2者を中心に他の宗教から「いかがわしい」と見られるほどのサバトの大騒ぎ、しかしペイガンの魔術の特徴はこの積極的であり自由な舞踏、音楽、声楽 による交歓ではないかとしばしば思うわけです。同じ歌を歌わなくてもいい、同じステップじゃなくていい、歌ですらなく叫びでもいい。
『イア!』という呪文の掛詞はラヴクラフト発のクトゥルーのものじゃなくて、これらペイガン発なんだと私も声高に叫びたいわけですが、…おんなじだと言わ れたらそれまでなんですけど。


いにしえからの彼女たちが権威や財力を保持できないさだめにあるのは仕方ないこと、
母なる魔女達は寄る辺なき旅人、途方にくれた勇者たち、無邪気な子供たちの「ありがとう!」の言葉ひとつのために惜しみなく、しかし大衆の偏見にさらされ 続ける彼女たちはこっそりと力を貸すのだろうから。
たとえ何世紀後であろうとも。

彼女たちを火あぶりにするべきか否かは、当然のこと、あなたがたの良心がすでに知っている。
魔力の守りあれ。




 
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